ついに五大陸制覇、ペルー・リマのNGO活動調査

サミット福岡の皆様

ついに行ってしまいました。南米大陸。
ところはペルーのリマ。時は大統領選決選投票の真っ最中。

日本外務省(別名害無省)によれば、「渡航を控えるのが望ましい」時だそうです。

でもそんな時こそ、研究者の渡航時期。何が起こっているか実際の目で見て、肌で感じて、そして私が関わっているNGOがしっかり活動しているか確 認し、改善点があれば報告するのが私の役割。
喜んでぶっ飛んで行きましたとも。

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 さてさて行きは5月22日(月)、長崎発10時50分の羽田便ANAで出発。
余命長いとは思えないB747-400(巨大需要線はA380に、一般的な長距離高需要線はB777やA340で駆逐されるのでしょうね)と表示されているので、2階席を所望。

長崎空港には全日空のラウンジ(日航のもない)がないので、送迎デッキに上がって到着便を見ていたら、何とウィングレッドのある国際線用機材。
搭乗して2階に上がるとやっぱり国際線用ビジネス・クラスのシートでした。

降機の際に「もったいないよね。これが国内線を飛ぶなんて」と乗務員と話しました。


  羽田でお昼を軽く取り、成田へ移動。

6月2日からスター・アライアンスは全部第一ターミナル南と言う新しい専用ターミナルになったのですが、この時点では全日空もエア・カナダも第2ターミナル使用。

空港に到着するとちょうどエア・カナダのチェック・イン開始の放送が流れたので、パスポート(日本国発行です!)とチケット、エア・カナダのゴールド・カード、ビジネス・クラスに乗るためのアップグレード券をはさんで全日空のスタッフのところへ行ったら、英語で応対されました(~_~)。
こちらもついうっかりしばらく英語で答えていたのですが、はっと気づいて 日本語に切り替えました。

 さてさて時を急ぎましょう。

もはや過去の存在となった全日空の旧ラウンジの感想を述べる必要はないでしょう。
混みあう成田なので、後発のエア・カナダは今日もバス輸送。タラップをしっかり上がって、自分の席(1A)に座りました。

お隣はモントリオールから日本に遊びに来た中国系カナダ人(たぶん30代前半)。
飛行機は見事に一番前から一番後ろまで満席。

我々ゴールド組は「調整」のためにアップグレードされた次第(隣もエコノミーのチケットだと言ってたもん)。
日本人乗務員が我々の席にやってきて、私に英語で挨拶し、隣に日本語で挨拶しているので、あわてて「私が日本人、お隣は中国系カナダ人だから英語しか分からないよ」と言いました。

成田−トロント線に使われている「エグゼクティブ・ファースト」は1995年の登場時には、「ファースト・クラスのサービスをビジネス・クラスの料金で」と話題になった素敵な座席でしたが、10年が経ち、ビジネス・クラスもベッドになる座席が珍しくない時代には見劣りするようになりました。

それでもエコノミーよりずっとゆったりしているし、カクテルに日本食、カナダ・ワインと楽しみは一杯。実はカナダ映画の「ブローク・バック・マウンテン」をパーソナル・ビデオで見て、のんびり過ごしました。

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11時間が過ぎ、到着後はまたまたバス輸送!
その輸送のテンポがゆっくりしているところが何とも言えずカナダ! 

入国審査は簡単に済みました(実は一般のカナダ人より私が早い。カナダ秘密警察の私に関する身元調査資料が画面に出るらしい)が、「いったん荷物を受け取り、税関検査を受けた上で4階で荷物を預けなおすこと」と成田で聞いていたのに荷物は出ずじまい。

バゲージ・クレームに言いに行ったら、何とリマまで通しで運ばれているとのこと。それならさっさと通関し、ラウンジで休憩していたと言うのに。
それでも5時間以上あるので、一度市内までバスと地下鉄で出て、バスターミナルでオタワ往復チケットを手に入れ、また帰って来てラウンジで休んでいました。

 リマ行きは、見た目はアジアに飛んで来るB767とまったく同じですが、ビジネス・クラスは狭くてぼろいし、エコノミーには足置きがなかった模様(アジア線にはついていて、多少座席間隔が広い)。

儲からない路線だからおんぼろを入れているのだろうと、乗務員の「来年にはビジネス・クラスがベッドに改良されますから」との言い訳を聞きながらトイレに入ると、何とそこにはハングル文字が。

同じスター・アライアンスのアシアナ航空の中古を安く譲り受けたのでしょう。それならこの狭い座席間隔も理解できる。
幸いにして時差がない(ただし冬場)のと、お隣が空いていたので何となくごろごろしながらリマに到着。


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 別にまともに調べているわけでもないけれど、やたらと時間のかかる入国審査を通り(さすがラテン系)、ボタンを押して緑なら税関チェックなし、赤なら詳しく調べられると言う「トトカルチョ」税関審査を通りました。

私は巨大な荷物を持っていたけれど、緑なので検査なし、前の人はほぼ同じ大きさの荷物でしたが赤だったので調べられていました。

そこを出ると客引き一杯でしたが、約束の運転手が私の名前を出して迎えに来ていたので、彼の車で一路宿へ。

晩秋のリマは南緯10度とは思えないほど早朝は寒く、空港周辺から都心まではあまり治安がよさそうではありませんでした。

日系人が経営する宿はリマ市内の中では比較的治安良好、夜までにぎやかな地帯(でも宿の主人に「夜一人歩きをしてはいけません。日本人以外は危ない人だらけです」と出してくれなかったので、断酒、繁華街のお楽しみなし)。

その日はさすがに疲れることが予想されたので、最初から予定を入れていませんでした。


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 翌日朝10時にNGOの現地スタッフが運転手と共に現れて、まずはNGOの資金等で建てられ、運営されている2つの学校見学。

一つ目は心身障害児のための学校。

九州の特急列車で「巨大手荷物」を持って現れた私に行き先を尋ねた客室乗務員から「ペルーの子供たちへ」と預かって来たグリーン車客用の飴玉を一人一個渡しました。

彼らが卒業した後に、コックなどとして周辺の食堂で働けるようにと厨房が設置され、調理実習などが行われていますが、まだ設備が不十分なので、援助を期待したいとの説明を受けました。

 もう一つは一般の子供たちへの学校。

フジモリ元大統領の両親の出身地、河内の人たちの援助で作られたので、「カワチ学校」と言う名前が付いています。

小中高全部で1200人とのこと。それほど広くない校地なので、小学生が午前、中高生が午後と言う仕組みでした。
校長に紹介されて、まずは河内中学校からの預かり物をお渡しし、それから飴玉を翌日小学生たちに渡してくれるように預けました。

校長の案内で職員会議の見学、図書館予定地や作業場などの見学、校地の回りに占拠者の家が迫りつつあるので、きちんと塀で囲む必要があること、コンピュータ教育の必要性(日本では廃棄するしかないような中古品でもペルーなら立派な現役になるとのこと)などを伺いました。

午後1時になり、中高部の「朝礼(昼礼と言うべきか)」の時間になったので、運動場へ向かいました。
「前へ習え」をしているのは、さすが日本に模範を取った学校らしいと言うべきか。

校長の紹介の後、私が日本の「河内学校」や河内の町に関して、またフジモリ大統領の両親が移民した頃は日本は貧しかったが、弛みない努力の結果先進国になったことを語り、ここで学ぶ生徒さんもペルーの将来を担う人々になって欲しいと語りました。

 この後、とある所で開かれていたフジモリ派の集会をちょっとだけ覗かせてもらいました。

「最終決戦でどちらを支持するの」と聞いたら、「それは決めてません(言えませんと言うのが本音でしょう)」との返事でした。
たぶん条件付でガルシア候補(当選した方)を応援したのでしょう。
ここの写真はもちろんありません。

車でリマ市内へ帰り、遅い昼食(めちゃくちゃに新鮮でおいしい刺身だが、量が桁違い)を日系文化会館で食べました。


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 3日目、この日は日系人のヤマモト司教が牧するマンチャイと言う山岳民族のスラム街改善事業の見学。

フジモリ氏が政界入りする前、学長をしていた立派な農業大学の前を通り過ぎ、超高級住宅街を通って10分もしないうちに、トタン屋根で応急に作られたようなスラムが荒涼たる荒地に広がっています。

「マンチャイはこの山の上。水もタンク・ローリーで運ばないとないのよ」と言う説明を聞きながら、最近舗装されたばかりと言う山道を昇りマンチャイへ。

地区の入り口にあるケース・ワーカーとまず会い、彼女の案内でNGOの活動拠点を回りました。

一つ目は診療所。
医師、看護士、歯科医師、薬剤師が常駐し、救急車もあります。

今度送ったのはドクターカーなので、医師か救急救命士が同乗すれば、搬送現場から医療活動が行えるので実に先進的なシステム(リマの他の病院もほとんど持っていない)なのですが、見たらマニュアルが日本語! これはまずいと思い、わがNGOの日本本部から自動車会社に連絡して、スペイン語版マニュアルを早急に送るように手配せねばと思いました。
でないとせっかくのドクターカーが宝の持ち腐れです。


 この後、幼稚園、学校、老人たちのディ・ケアセンターを見学しました。

若夫婦たちは山岳地帯からリマに降りてきて、朝から夕方まで仕事に出かけているので、子供達や老人達は家で満足な朝食・昼食も取れない。
だから教育や老人の自立支援だけでなく、栄養バランスの取れた朝食・昼食を出すこともこれら施設の重要な役割だとの説明でした。

小学校では私が実は独身だと言うのを先生が紹介したので、「じゃあ、僕が結婚する」と男の子達が全員手を上げる(そんなに男はいらんて)。

ディ・ケアセンターは山岳民族の典型的な家を模したものだと説明を受けましたが、回りを塀で囲み、内側に家を作っているのは中国の家そのものではないですか。

インカの踊りと歌も我々アジア人と共通する旋律があるように聞こえました。

私はその場で「ここに来て、皆さんと私たちの祖先が共通なんだとよく分かりました。これからも一致協力して行きましょう」と即興スピーチをしました。

司教区全体を見渡す教会前の広場に戻ってきて、前を見渡すと広がる市街地、後はすぐにアンデス山脈に続く山岳地帯でした。

ヤマモト司教はお忙しくてお目にかかれませんでしたが、電話をいただきまして感激しました。
彼とシプリアーニ枢機卿(ペルーの日本大使館人質事件で調停を行った方の一人)が一緒に写った写真などもいただいて参りました。

この後またまた日系文化会館に行って、この日はペルー料理を食べました。


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 4日目、元大統領の弟、サンチャゴ・フジモリ国会議員を表敬しました。
彼は1975年の日本留学時を懐かしんでいました。

「河内はどうですか」との問いに、「高齢化や若年層の仕事が少ないことから、どんどん人口が減っています。熊本都心からのバス便も減ってしまいましたし」と答えたら、「ちょっとさびしいね。もう日本には行かない方がいいかもしれない」と応答したりしておられました。

フジモリ派の政策に関して聞いたら、「電気・水道・道路・住宅などの基本インフラの整備と、教育・医療の充実。その結果健康で優秀な労働者が生まれ、彼らがペルーのために働けば税収が増えて良い国になる。これが私たちの党の主張であり、この主張を受け入れる候補を大統領として応援する」と語っていました。

フジモリ派はペルーで一番議席を持っている政党であり、力があることも説明していました。


 表敬の後は、国立博物館の見学。
何しろ歴史の宝庫ペルー、11時に到着し、3時に運転手の迎えを頼みましたが、その間存分に展示を楽しんだことを書いておきます。


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 5日目は特に見学先はないので、お昼の後空港に送ってもらうまで街を見物。

お土産を少し買い、ラルコ・マルや恋人達の小道を走り回る。
ラルコ・マルは中産階級の集まるところなので、ここでは降ろしてもらって海を眺め、ここはアメリカかアジアかと思うようなショッピング・モールを見てしまいました。

だがこの海を遠くまで行けば日本にたどり着くと言うのがまだぴんとこないのでした。

次に旧市街に行き、スペイン植民地時代そのままの街の様子を見て回りましたが、現地NGOスタッフから私の身辺警護を源重に言い渡されたらしく、降ろしてもらえずじまい(悲しい)。

預けておいた荷物を一度宿からピックアップして、空港へ。


 飛行機は午後9時半発ですが、午後6時前には到着し(ラテン系ですから、仕事は早く済ませるのが鉄則)、まだチェック・イン・カウンターがオープンしていないので、やはりトロントに飛ぶと言う人と一緒にカウンターが空くのを待っていました。

ところがところが、案内は全然出ないのに、なぜか人が動き出したのでそこに行って見たら、エア・カナダのチェック・インが6時半頃から始まっていたではないですか。

それを知って大急ぎで荷物のところへ戻り、お隣の人にも告げ、大行列のエコノミー・チェックインを尻目に私はビジネス・チェックイン・カウンターで悠々チェックインしました。

時間は十分、早めにラウンジに入って簡単な夕ご飯と飲み損なっていたペルー自慢のカクテルでも楽しもうかと出国ゲートに行ったら、そこから先が一 筋縄でいかないのがペルーでした。

出国審査、身体検査がなんとものろのろなのは想像が付く。

 でもその後に出国税が別払いと書いてあるではないですか(ありゃありゃ)。「クレジット・カードで払えるの」と聞くと、だめと言われる。 USドルのTCとペルー・ソルで受け付けると説明されたので、それを信じて窓口に行ったら、「TCはだめ。両替所で現金に替えなさい」とのこと。 またまた道を戻って、両替所に行くと、USドルTCをUSドル現金にするのなら5ドルの手数料を取る(バカヤロウ。同じ銀行の癖に)が、ソルに替えるなら取らないとのこと。

両替レートなんて怪しいもんだが、とにかくソルに替えて、それとUSドルの現金を混ぜて無事に支払った。
後で頭の中でおおよその計算をしたが、それほど悪辣な両替レートなわけではなかった。

こうしてVIPラウンジに無事到着した時には午後8時。
ペルー名物のカクテル、ピスコ・サワーを楽しみ、軽い食事をしているうちに、眠くなって来てしまった。

携帯式の世界時計の目覚ましをかけて仮眠室でほんのちょっとだけ居眠りし、またまたハングル文字の書いてあるおんぼろB767で時間を巻き戻すようにトロントへと飛んだのでした。

なお、エア・カナダの名誉のために言っておきますが、飛行機は確かにぼろいかもしれないけれど、パイロットの腕は抜群なのは確かです。

帰りに羽田から乗った熊本行きのB767(ANA、でもこれまた国際線用機材で、ビジネス・クラスのシートを回してくれたので許す)がゆらゆらしながら着陸するのを体感して、やっぱり日本のパイロットは下手と言ううわさは本当だと痛感した次第です。

荷物には優先タグが付いていなくて、またまた延々待たされてしまいました。


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 と言うわけで、さすがは「ラテンな国」を体感して来たわけですが、福岡でやった「壮行会」じみたもので他の人たちから、「ペルー、気をつけて行ってね」と言われた時に、「たぶんペルーは危険だと分かっているから行動を自制してかえって大丈夫だと思う。危ないのは『安全極まりなし』のカナダ。特に学会発表が終わって気が抜けた時だろう」と言いましたが、これが見事に当たってしまいまして、何と言うべきでしょうか。トロントの日本総領事館は毎度のごとく「害無省」で役立たず。

カナダの教会、大学、連邦政府が私のために動いてくれたので、何も困らずに私は帰って来たわけです。
でも連邦政府はトロント総領事館が「害無省」だと言う動かぬ証拠をまた知ってしまったのよね。

6月8日に成田にトロントから到着したエア・カナダ1便はやたらとだだっ広くて、正直混乱状態にある第一ターミナル南に着いたので、そこ は日本とは思えない状況。ペルーに引き戻されたかと思わないではないでした。

なんたって3時半に飛行機が着陸したのに、まさか4時半過ぎのスカイライナーに危うく乗りそびれそうになるなんて誰が思うでしょう。

でもその内皆さん慣れるんでしょう、きっと。

全日空運営の新しいラウンジもじっくり体験したいものです。


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心身障害児向け学校の調理実習施設と教員
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心身障害児学校1年生のクラス
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ペルー・カワチ学校正門
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ペルー・カワチ学校中高部の昼礼風景
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マンチャイの診療所の歯科医師の診療風景
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マンチャイにある救急車(旧式の方)
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マンチャイの教会から街を望む
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マンチャイにある老人向けデイ・ケア・センター
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マンチャイの後にそびえる山脈
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サンチャゴ・フジモリ国会議員
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サンチャゴ・フジモリ氏の選挙時のビラ



(2006/6/11)